南アフリカ

ラグビーW杯優勝で分かる南アフリカとアパルトヘイトの歴史

昨年のW杯を見て南アフリカといえばラグビーを連想する方も多いのではないでしょうか?

実は南アフリカはラグビーに関してとても複雑な歴史を持っています。

今回はそんな南アフリカとラグビーとの関係をアパルトヘイトと一緒に紹介していきます。

アパルトヘイトとは

アパルトヘイトとは南アフリカで長期にわたって施行され続けた有色人種を政治的・社会的権利を奪い、差別する政策のことです。

アパルトヘイトはアフリカーンス語で「分離」「隔離」という意味を持ちます。

南アフリカで政権を握っていた白人はそもそもオランダからイギリスに植民地が譲渡されたことをきっかけで人口が徐々に増えていきました。

南アフリカで金鉱山の開発が急速に行われていたこともあり、安価で大量の労働力を確保するために白人たちが自分たちに有意な制度を作り始めました。

こうしてアパルトヘイトは始まりました。
具体的には以下のようなことが行われていました。

  • 政治 黒人には選挙権がない
  • 労働 白人の給与優遇
  • 婚姻 異人種間の婚姻を認めない
  • 住居 移住区間を完全に区別
  • 教育 黒人には義務教育がない

このように露骨な差別が行われてきました。
白人専用のビーチの写真は日本でも有名ですよね。

アパルトヘイトは1990年代にネルソンマンデラ大統領の活躍などもあり廃止されました。

しかし、実際に南アフリカに行くとアパルトヘイトのなごりがあるということを感じました。
終わったはずのアパルトヘイトは今でも人々の心の奥底に根付いているということを身をもって実感しました。

詳しくは今度記事にしてみようと思います。

アパルトヘイト政策とは?いつ廃止されたの?内容や歴史を徹底解説 あなたも一度はアパルトヘイトという言葉を聞いたことがあると思います。かつてイギリスの植民地だった南アフリカではアパルトヘイトという政策...

南アフリカでのラグビーの歴史

続いては南アフリカでのラグビーの歴史について紹介していきます。

南アフリカといえばラグビーと思っている方も沢山いるのではないでしょうか?

南アフリカ代表はスプリングボクスという愛称で親しまれ、1995年で自国開催されたW杯で初優勝という偉業を成し遂げ、ネルソンマンデラ大統領が優勝トロフィーを手渡す瞬間の写真は現在でも新生南アフリカ誕生の象徴として多くの場所に飾られています。

これまでにラグビーW杯で2度の優勝を果たし、世界最強のチームとして世界中の人に知られています。

南アフリカでラグビーは1994年の史上初の全人種による選挙が行われて以降、アパルトヘイトの終わりを象徴するための重要な役割を果たしてきました。



ラグビーとアパルトヘイトの関係性

実は南アフリカにとってラグビーはアパルトヘイトと深い関係があることを知っていますか?

南アフリカではラグビーは「白人のスポーツ」、サッカーは「黒人のスポーツ」と考える人が多く存在します。

南アフリカでラグビーは、アパルトヘイトを進めた白人たちが楽しむスポーツでした。

実際かつての南アフリカ代表は白人選手のみで構成されており、スプリングボクスのエンブレムはアパルトヘイトの象徴として扱われていました。

黒人などの有色人種はラグビーを嫌い、国際大会では相手国を応援してきたのです。

そんな中であのネルソンマンデラ大統領が当選した全人種参加の選挙の後、マンデラ大統領は黒人政権に不安を感じる白人たちの心をつかむべく、スプリングボクスの応援を始めました。

スプリングボクスも白人だけでなく全人口から応援される正真正銘の南アフリカ代表になるべくスローガンを掲げ、戦い続けました。

結果的に翌年のW杯でスプリングボクスは初優勝を果たし、マンデラ大統領が優勝トロフィーを手渡す瞬間はアパルトヘイトの終わりを象徴する瞬間として様々な場所で飾られています。

現在でも一部の地域ではラグビーがタブーになっていたりはしますが、黒人選手が代表チームで活躍するなど、ラグビーは徐々に真の国民的スポーツになるための階段を上っています。

優勝の舞台裏~史上初の黒人キャプテン~

東京で行われたラグビーW杯で今回の南アフリカチームの優勝はアパルトヘイトの本当の終わりに大きな影響を与えました。

それは南アフリカ代表チームのキャプテンであるシヤ・コリシ選手が大きく関係しています。

彼は南アフリカ代表史上初めての黒人のキャプテンなのです。
1995年のW杯まで黒人は代表チームに参加することすらできませんでした。

それから約25年が経ち、ついに2019年黒人キャプテンが率いた代表チームが世界一の座を勝ち取ったのです。

彼はスラム出身で食べ物もおもちゃもない環境で育ちました。

12歳の頃、草ラグビーの大会で奇跡的にスカウトされ、アパルトヘイトが廃止されたばかりの今よりも差別が残る厳しい環境にも負けず、白人の子供に囲まれながらラグビーを続け、代表チームのキャプテンに上り詰めた苦労人です。

実際に今回のW杯は南アフリカでも過去最高の盛り上がりを見せ、黒人居住区で暮らす人々の誇りとなり、逆境に立ち向かう力を与えました。

現地では涙を流しながら応援している人々の姿もありました。
僕はその姿を見て純粋に胸が打たれました。

まだ沢山の問題が残る南アフリカが間違いなくアパルトヘイトの終わりへまた1歩進んだ瞬間でした。

5つの言語を使う南アフリカの国歌の秘密

最後に南アフリカの国歌について紹介していきます。

南アフリカの国歌は5つの言語が使われているということを知っていますか?

日本の国歌はもちろん日本語だけで構成されているので想像ができないかもしれませんがこれは事実です。

まずは、黒人達がアパルトヘイト廃止を目指した運動で歌われた「神よ、アフリカに祝福を」という讃美歌がコサ語、ズール語、ソト語で歌われます。

続いて、アパルトヘイトが行われていた白人政権時代の国歌である「南アフリカの予び声」が英語とアフリカーンス語で歌われます。

国歌からもアパルトヘイト時代の苦悩を感じられますね。
南アフリカでは5つの言語が使われている国歌を歌えない国民が多く、知らない言語の部分では静かになる人が多いという、、、

個人的にはそれぞれの価値観を尊重したこの国歌が大好きなので、皆さんも南アフリカの国歌を聞く際には注目して聞いてみてください!

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まとめ

いかがでしたか?

今回は南アフリカのラグビーとアパルトヘイトについて紹介しました。

南アフリカはラグビーが強いだけではなく、複雑な背景を抱えている国です。
この記事を読んでくれたあなたは今後ラグビーを見る際に少し違った視点からも楽しめるようになるのではないでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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